「いいヒト」をやめた
最近はっきりと自分が変わったなと思う部分があります。それは「いいヒトをやめた」こと。いいかえれば「誰も傷つかないように」書こうとするのをやめたのです。雑誌の連載や、まとめつつある次の単行本、それにこのブログもそうです。
誰も傷つけたくない。不快な思いをしてほしくない。それは無理。30年近く書いてきて、ようやくこのことがわかってきました。傷つけたくないという思いは「いいヒトでいたい」ということですね。誰でもそうですが、褒められたい、愛されたいという気持ちが「みんなからいいヒトと思われたい」につながります。
これまでに誤解や曲解、中傷された経験が何度もあります。どんなに低収入であっても「書くことを生業とする」以上、避けられないことなのだろうと諦観していますし、またwebに関しては、パソコン通信時代からの経験で、情報が自由に流通する空間であると同時に、感情も自由に流通するところなのだと思っています。
私はもともと広告屋です。広告の発想からいえば、何の反応もないよりも、たとえどんな反応もあった方がよいのです。本当に不快なら黙って立ち去って無視すればいい。なのにわざわざ何らかのメッセージをくださるのを、ですからありがたいと思いながら拝読します。書けるときはお返事も書きます。
一瞬むっとしたり、深く傷ついたりもしますが、同時に素直にありがたく思える。よけいな怨みつらみに発展させなくてすんでいるのは広告屋スキルのおかげです(月も金星も風サインですし(^^)
2002年に『アジアへごはんを食べに行こう』(講談社文庫)という本を上梓しました。今もそうですが、当時は特に家族を食べさせていくための目先の仕事に必死で、書き下ろし原稿はなかなか進みませんでしたが、ベテラン編集者のTさんは数年間も根気よく待ってくれました。
あの数年間で私は、一生書いていく覚悟をすることができました。どんな過酷な環境であってあっても少しずつでもいいから「私は一生書いていこう」と。数年後に今度は、ある出来事のなかで「私は一生書いていける」という自信も得ました(このエピソードは来月あたりの「suッkra」にくわしく書いています)
そして、最近、私の覚悟はまた一歩進みました。
私の書いたことが気に入らなかったり傷ついてしまう人はいるだろう。でもきっと、それ以上にたくさんの人たちが勇気と癒しを感じ、すこやかに、ほがらかに、生きていきたいと思ってくれればいい。傷ついた人もまた、別の文章のなかに別のことを感じてくれたらもっといいなと思う。
もう「いいヒト」と思われなくてもいいんだ。今も生計を立てることに必死なのは変わりませんが、お金になってもならなくても、一人でも読んでくれる人がいる限り、どんな媒体であっても「書ける幸せ」を心の底から楽しんで行こうと思います。以上(^^)
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