思いが形になるということ。
80年代にマクロビオティックとかアジアの食事情とか東洋人のカルシウム摂取量とか砂糖はよくないとか、そんなような話をすると、誰も相手にしてくれなくて、わたしはその頃コピーライターだったのですが、ブレストでそんな話すると面白がってはもらえても、仕事にはならない。90年代後半に本を書いたときも、それは特殊すぎて受け入れられないよ、と却下されていました。
ところが。今となってみれば、マクロビが一般的になり、アーユルヴェーダもなんとなく知れ渡り、人種により消化力のちがい(これはまだ興味ない人は興味ないか) 砂糖だけはいろんな事情であまり状況変わりませんが。
つまり、ある日「これはこうだよね!」と思ったこと=インスピレーションといってもいいんですが、それは、ずーっと思っていればいつかは形になりますね。時代が追いついてくるともいう。誰にでも「これはこうだよね!」があって、それは必ず形になる。
(追記。わたしの「こうだよね!」は自分のためではなく、こんな面白いことをみんなに知ってもらって生活をもっと面白くしようよ!ということなので、自分が中心になったり前へ出なくていいのです。お金にならなくてもいいし、褒めてもらえなくてもかまわない。このあたりは人によってちがうと思います。ホロスコープでは太陽と月のバランスでチェックしてくださいね)
何かを思ったら(夢を描いたら)まわりの人に話すといいといわれていますね。「こうだよね!」が荒唐無稽であればあるほどいいにくいわけですが、いえる相手が身近にいるのは、それだけで幸せかもしれません。
わたしのあらゆる「こうだよね!」をずっと聞いていて耳タコだった夫は、すでにこの世からいなくなったので、いま、わたしは「やっぱりこうだったよ!」と話す相手がいない。スワローズの宮本慎也選手がついに引退だ~みたいな話なら息子とも、友人ともできますが、自分の脳からはみ出た言葉を拾ってくれていた人がいないことに、最近やっと気づきました。
えーと、でも、長年のパートナーがいない人も、それはそれで大丈夫。はみ出た言葉はどこかへためておけるし(こうしてブログ書いたりね) 誰か一人にだけ「こうだよね!」といわなくても、いろんなところでいろんな人たちに「だよね!ね!ね!」といえばいいし。ね。
(さらに追記。占い師のところへ定期的に来てくれるのも「こうだよね!」ですね。うまく使ってやってください^^)
今日は本当にただの雑記でした。つまり、そういうことで、占いはこれからもっともっと一般的になって、誰でも身につける教養みたいなものになっていくだろう。だよね!と、わたしは思っています。さて、だから、もっともっともっとスキルを磨いて精度を高めていかねばお金をいただける仕事として成り立たなくなるな。精進しよう、精進。
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