幸せの鋳型にとらわれる必要はありません。
この世にはいろいろな人がいます。
祝福されて生まれ、愛されて育った人もいます。もっとも愛され守られるということは、残念ながら理解されるということとは別だったりもしますが。
傷つきやすい。常に傷ついている。心に大きな穴が開いている。いつも苦しい。いつも悲しい。気がつくといつも一人……。
でも、それがその人の「原風景」である場合もあるのです。
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でも、それがその人の「原風景」である場合もあるのです。
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占星術を学び始めた頃、まず日本語の本をたくさん読みました。そのなかでこんな話を見つけました。
私たちは「人はこうあるべき」と思い込んでいるところがあります。
たとえば「幸せの形」は人それぞれのはずなのに、なんとなく誰かを「同じような幸せ」の鋳型にはめて羨んだり、「あの人は不幸にちがいない」と思ったり。
この鋳型に合わないと「心に傷を負った」とか「傷ついてかわいそう」と、私たちは思ってしまいます。
しかし、鋳型は本当に人それぞれ違っています。なかには、多くの人には理解できないような鋳型を持つ人もいます。
「傷つくこと」が原風景になっている人は、傷つき、悲しみ、苦しみ、過酷な環境に身を置いたときこそ、その人らしさが発揮されることになるのです。望むと望まざるとにかかわらず。
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この後は原文を引用させていただきます
「幼少期とても寂しい体験をした人は、その後寂しい体験をするたびに、安心感や自分らしさに戻ってきた感情を感じることも多いのです。
「私も昔は、こうした月の傷に関しては癒すべきだと考えた時期もありましたが、最近はその考えは間違っていると思うことが多くなりました。どんなに特殊な型でも、心の型ができてしまうと、それが休息するための居心地の良い“心の家”になってしまうし、それが穴だらけのあばら家でも、そこに懐かしさを感じるのです。」
(「完全マスター西洋占星術」松村潔・著)
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頑張ってみんなと同じように生きたいと思っているのに、なぜかいつも違うところへ行ってしまう。
気がつくと、誰もいなくなっている。
自分のどこかが欠落しているのだろうか。
……こんなふうに思い続けてきて、ずっと苦しかった私にとって「このままでもいいんだ」と思えた一節です。
頑張ってみんなと同じように生きたいと思っているのに、なぜかいつも違うところへ行ってしまう。
気がつくと、誰もいなくなっている。
自分のどこかが欠落しているのだろうか。
……こんなふうに思い続けてきて、ずっと苦しかった私にとって「このままでもいいんだ」と思えた一節です。
「人に好かれ、和やかに交流して、楽しい人生」だけが幸せとは限りません。
幸せの形はひとつではないし、誰もが「幸せ」になるべきと決めつけなくてもいい。
なかなか理解されにくい「幸せ」の鋳型を持っている一人としてそう思います。
そして占い師として、常にこのことを憶えておこうと思っています。
(2012年10月に書いた記事より。加筆修正しました)
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(2012年10月に書いた記事より。加筆修正しました)
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向真希の鑑定は、どんなご相談テーマであっても、まず、ホロスコープからあなたの内面を読み解くことから始まります。
すべての答えは、あなたのココロが知っています。
そこにはあなた自身も気づいていない素顔のあなたが隠れています。
この世に生を受ける以前からのあなたの魂の軌跡をたどり、物心ついてからの心理を読み解き、そのカラダをもって生きていく時間をひもといていきましょう。
知らないうちに習慣になっている生き方の癖を、意識化することで、知らないうちにいつもうっすらと張り巡らせていた緊張の糸を切ることができるでしょう。
そうして、この人生で何を歓びとして生きるのか、果たすべき使命はどこにあるのか。
これらをしっかりと読み解いた上で、現実の生活のなかでどんなふうに落とし込んでいけるのか。ご一緒に道を探って行きましょう。
自分らしく生きるということが、世間一般でいう「幸せ」なこととは限りません。しかし、素顔の自分と向き合う時間は、あなたの未来をよりよいものに変えてくれるはずです。

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