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こんな人生に何の意味があるんだろう?

そんなふうに考えてしまうこと、どんなひとでも何回かはあると思います。
理由はさまざまかと思いますが、わたしもここ数年、よく考えました。

昨年実家で、亡き祖父の日記を見つけました。父の許しを得て、いまは、わたしの手元にあります。日記を読みすすめるうちに、ある日こんな記述がありました。まとめると……

--齢六十を超えてまだ何事も成し遂げていない。焦るばかりで病弱なため思うようにならない自分が情けない。

こんなふうなことが書かれていました。

祖父は明治生まれです。海軍に入り、その後東京や横浜で何か仕事をして(ときにヴァイオリンの流しをやったりもしたらしい) 長野で製糸工場の設立にかかわり、軌道に乗せてから、浜松で証券会社を立ち上げて、最後は地元の村長をつとめたひとでした。

明治生まれの山羊水瓶らしく、生まれ育った土地だけで一生を終えるひとがほとんどだった時代に、当時でいえば海外に等しいようなところへ出て、最終的には家長として一族をとりまとめ……その祖父ですら「何も成し遂げていない」というのが土星期の実感なのか。

これから土星期をむかえるわたしは、少しだけ、焦りがとれたような気がしています。

「自分のこの人生に、何の意味があるんだろう?」--そう感じたら、遠い昔からほとんどすべてのひとたちがあなたと同じことを思ってきたのだと想像してみてください。
世に知られた偉人のことはわかりませんが、ほとんどすべての、市井の人々は、そんなふうに思いながら、土星期を過ごし、(きっと天王星期や海王星期を受けとめ) そうして、あちらへ冥王星とともにあちらへ還っていくものなのかもしれません。

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(あるとき、祖父が「これは甘い夏みかんの種だ」。小さな何粒かの白い種をふわっと庭に蒔いて、軽く土をかぶせながら、「昌子が大人になる頃には実がなるぞ。(自分は)その頃には死んでしまって食べられないだろうがな」といったのを覚えています。小学生になるかならないかだったわたしが「大人」になって、見上げるほど繁る木に、甘夏はでこぼこと不格好な実をたくさんつけています。)

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