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「何か意味があるのかも」と思いたい自分に意味がある、のかも。

何か事が起きたとき、それが耐えられるか耐えられないかぎりぎりのことであればあるほど、わたしたちは、「この出来事に何か意味があるのかも」「何かを学べということかしら」…などと、つい、考えたくなってしまいますね。

うれしいこと、楽しいこと、心底歓喜を感じるときは、ただ、ナチュラルにそれをよろこべるのに。苦しいこと、悲しいこと、心も張り裂けそうなときは、どうにかして耐えるためにいろいろな理由をくっつけたくなる。

「こんなに苦しいからこそ何か意味があるのかも」「わたしの成長のためにこんな出来事が起こっているのかも」…などとと考え始めたら、それは自分に都合のいい解釈を始めたにすぎない。

事実はひとつしかありませんが、解釈は100通りも1000通りもあります。

事実を事実のままに受けとめることは、同じ失敗をくりかえさない手段のひとつでもあります。

どうにもならないつらさに襲われたときこそ、だからこそ、ただ、ナチュラルにそのことを受けとめ、何も考えないで、じっと事実を事実にままに味わってみましょう。

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(サイゴンの小さな市場。雨が降りそうだったので片付け始めているところ。鶏はもちろんペットではなく「新鮮な食材」として売っています。)

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