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なぜ、こうなってしまうのか知りたかった。恋とか仕事とか結婚とか。

タイトル、そのまんまです。わたしが占いを学び始めた理由の一番大きな理由。

何度も書いていることですが、ちょっと(ときには、だいぶ)どこかが変で、そんなつもりはないのに常識を外れたことに遭遇する。集団から微妙にはみ出してしまう。かといって、はみ出ないで集団の一員でいると息苦しくなる。

安らぎと孤独は両立しないのかと絶望しながら、どうにかこうにか大人になって、恋をしたり仕事をしたり結婚したり離婚したり子どもを育てたり。

この間、天海玉紀さんから「真希さんの趣味って何ですか?楽しいことやりましょうよ!」と言われたのですが、いわゆる趣味や娯楽とはほぼ縁がなくて。しいていえば、生きていることが趣味だ!(笑)

こんないびつなはみ出し者の自分なので、なんとか社会と折り合いながら生きるには相当いろいろと工夫が必要で、結局は、その工夫を継続という形で楽しんではいるわけなので。苦楽でいえば苦が圧倒的に多いけれどそれも含めて人生の醍醐味、と。(多かった、と過去形にしていないのはまだまだ続いていくからです。ぜいぜい。)

さて。

とりあえず、そんな日々を長年過ごしていますが、今から10年ちょっと前。絶対にありえないと思っていた出来事に翻弄されながら、人並み(以上に)頑張っているはずなのに、次から次へと限界超えた出来事が続く。いくら何でもこれはおかしいんじゃないかと思ったわけですね。

具体的には何度も書いたり話したりしているので省略しますが、過去のエントリーから一部引用します。

***

誰もがそれぞれにいろいろな事情をかかえて生きています。
思うにまかせぬ日常。
遠くなってしまった夢。
未来が見えない。
多かれ少なかれ、誰もがそんな気持ちを持っていると思います。

でも、私たちは諦めてはいけないと思うのです。

この人生をあるがままに受け入れることと、諦めてしまうことは、
似ているように見えてもまったく違います。

諦めることは、誰かに自分の人生を預けてしまうことです。
受け入れることは、このカラダをもって生きるこの人生を
自分自身が引き受けていくことです。

ああ、そうだったんだ。
経済的にも精神的にも身体的にも追いつめられて、
あの過酷な状況のなかで、私は私の人生を諦めたくないと思ったんだ。
今日、わたしは(略)このことを痛感しました。

***

*はい、ここも勉強中の方でしたら、こういうテキストを読んで、「人生」なんていう言葉が使えるようになるのは、木星期(46~55歳)に入ったあたりかな…と見当つきますね。わたしは当時、まだ火星期(36~45歳)でした。

幸せになりたい。そう願わない人はいないですよね。
それなのに、「自分だけなぜこんなことになってしまうのか?」
――もしかしたら、自分を知ることでそれがわかるかもしれない。

けれど、一定レベルを保てない「霊感」や幸不幸を規定してしまう偏った視点、あるいは一生が決定しているかのような宿命論などからは距離をおこうと思いました。これらがどれだけの悪さをするか、亡くなった夫の介護中によくわかっていたからです。
同時に「分析」や「批評」もいらないと思いました。分析の次に何が生まれるのか。個人(のつくりあげた体系による)感想や批評ではなく普遍の真理がほしい。

そうして、わたしは数多ある手法のなかから占いを選びました。

勉強を始めた頃、友人知人家族ふくめ知ってる人たちほぼ全員が驚いて面白かった^^
つまり、そのくらい「占い」とはほとんど縁のない人生を過ごしてきていたのです……。(続く)

*****

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ということで、この講座を企画した理由などの前に、なぜ、わたしは「占い師」になったんだろう…とそのあたりから書き始めたらあまりに長くなりそうなので続きます。すみません。

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